コレクション: ピンナップガール|PIN-UP GIRL

キュートに挑発、ポップに自由!

ピンナップガール文化

ピンナップガール文化は、第二次世界大戦前後のアメリカを中心に発展した、ファッションや美意識、ポップアート的表現を伴う独特のムーブメントです。ピンナップガールとは、雑誌やポスター、カレンダー、さらには1930年代から1950年代のコカ・コーラの広告などに描かれた魅力的な女性像を指し、戦時中には兵士たちの士気を高める存在としても親しまれました。戦闘機の先端などに描かれたピンナップガールは、ノーズアートカルチャーとして浸透し、兵士のレザージャケットなどの戦闘服にも様々なピンナップガールが描かれました。

特に Esquire(エスクァイア、1933年創刊) や Playboy(プレイボーイ、1953年創刊) といった雑誌にピンナップガールが掲載され、読者の憧れを集めました。Esquire は男性向けライフスタイル誌としてファッションや文化、文学、娯楽を幅広く紹介することを目的に創刊され、Playboy は「上質な大人の男性像」を提案するコンセプトで、カルチャーやインタビュー、音楽、ファッションと共にピンナップガールを誌面で大きく取り上げました。これらの雑誌は後に日本版も出版され、日本の若者文化やライフスタイルに影響を与えました。

また、日本でも NOW(ナウ)、Five 6 Seven(ファイブ・シックス・セブン)、平凡パンチ といった雑誌が登場し、ピンナップガールのイメージを取り入れた記事や写真を掲載。60年代から70年代には、こうした雑誌が日本の若者文化に浸透し、アメリカのピンナップ文化が広まっていきました。

このカルチャーは単なる性的魅力の表現にとどまらず、若者たちの間でファッションやヘアスタイル、メイク、ポーズの模倣を通じて広がり、アメリカン・ドリームや自由なライフスタイルの象徴として受け入れられました。特に、1930年代から1950年代にかけてGil Elvgren(ジル・エルブグレイン)、Alberto Vargas(アルベルト・ヴァーガス)、George Petty(ジョージ・ペティ)、Al Moore(アル・ムーア) といったアーティストたちによるピンナップ作品や、Marilyn Monroe(マリリン・モンロー、1950年代半ば〜1960年代初頭)、Betty Page(ベティ・ペイジ、1940年代後半〜1950年代前半) といったモデルたちは、色彩やポーズの大胆さ、女性像の理想化によって若者たちの憧れを集めました。

マリリンやベティといったモデルたちは、ただ美しいだけでなく、服装や髪型、ポーズの取り方まで工夫されていて、当時の若者にとって「憧れの存在」でした。色鮮やかな衣装や大胆なポーズは、見る人の目を引き、自由で自信にあふれた女性像として理想化されていました。こうした表現は、若者たちが自分のファッションやライフスタイルに取り入れたくなるような魅力を持っていたのです。

また、ピンナップガールはホットロッドやピンストライプのカスタムカー、ロカビリー音楽、ダンスホール文化とも密接に結びつき、当時の若者たちはピンナップのイメージをファッションや部屋の装飾に取り入れることで、自分たちの個性や反抗心を表現しました。さらに、ピンナップガールは後のロックンロールやポップアート、さらには現代のストリートカルチャーにも影響を与えており、50年代のアメリカン・カルチャーを象徴するモチーフとして、今も若者文化やファッションのインスピレーション源となり続けています。


ピンナップガールは、ただの女の子の絵じゃない。影のつけ方、色彩、構図、キャラクター性・・アートとしての完成度が最上級レベルなんです。現代の広告デザインやポップアートの土台にもなっていて、アニメ・マンガ・ゲームのキャラ作りにも影響を与えています。つまり若者が好きな”ビジュアル文化の源流”がここ。また、ピンナップガールはよく見ると、わざとらしい驚き顔・コミカルなシュチュエーション・笑えるポーズがいっぱい。つまり当時の『ミーム(元祖)』みたいなもの。そして、ピンナップガールは、男性向けのセクシーアイコン・・と思われがち。でも実際は、明るくて、自信があって、自分の魅力を自分でコントロールしていた女性たちの表現。つまりピンナップは”ガールズパワーのルーツ”なんです。エスピースでは、ピンナップガールのガールズパワーの源流に注目しました。レトロポップのときめきが詰まった、ピンナップガールのワンダーな面白ビジュアルが楽しめる40年代から70年代の当時のヴィンテージ雑誌や関連書籍、アーティストたちの作品集などをご紹介しま〜す。古着好き・ネオレトロ好きには刺さりまくりますよ〜

ピンナップガール|PIN-UP GIRL