コンテンツに進む
コレクション: モード|MODE
モード文化
モードとは、単に流行やスタイルを指す言葉ではなく、その時代の最先端のデザインや美意識、ライフスタイルを象徴する総合的なファッション文化を意味します。語源はフランス語の mode で、「流行」や「方式」という意味を持ちますが、ファッションの文脈では服装だけでなく、色や素材、ヘアスタイル、メイク、アクセサリーまで含めた総合的な美意識を指します。
雑誌やメディアは、モードを一般に伝える重要な媒体です。『Vogue』や『Harper’s Bazaar』、『ELLE』などの世界的ファッション誌は、世界中の若者やデザイナーに影響を与え、リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)、ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)、パトリック・デマルシェリエ(Patrick Demarchelier)といった写真家は、モデルや服の美しさを芸術的に切り取り、時代のモード感覚を象徴するヴィジュアルを生み出しました。さらに、パリコレクション(Paris Fashion Week)やミラノ、ロンドン、ニューヨークのファッションコレクションは、世界のモードをリードする舞台です。これらのランウェイで発表されるデザイナーのコレクションは、雑誌や写真を通じて世界中の若者たちに最先端のモードを伝え、ファッションの方向性を示す指針となっています。
日本でも、1950年代以降、モード文化は独自に発展しました。1966年に創刊された『流行通信』は、日本で初めて本格的にモードを扱った雑誌として、海外コレクションやデザイナーの動向を伝え、単なる流行紹介にとどまらずカルチャーとしてのファッションを根付かせる役割を担いました。資生堂が1937年に創刊した『花椿』は、美容やファッションの情報に加え、アートや文学、写真など幅広い分野を取り上げ、企業文化誌でありながらモードを文化的に紹介する独自の位置を築きました。1970年に登場した『an・an』は、パリをはじめとする海外の最新ライフスタイルやファッションを若い女性に向けて紹介し、日本に「アンノン族」と呼ばれる新しい層を生み出しました。『an・an』はファッションだけでなく恋愛や旅行、ライフスタイルそのものを誌面で提示し、自由でモダンな生き方を提案した点で画期的でした。さらに『non-no』『ViVi』『JJ』といった女性ファッション誌も登場し、若者たちはこれらの媒体を通じて世界と日本のモードを吸収し、自分たちの価値観を重ね合わせていきました。
1980年代には、三宅一生、山本耀司、川久保玲といったデザイナーが世界の舞台に登場し、日本のモードは国際的に大きな注目を集めました。三宅一生はプリーツや革新的な布の使い方で身体と衣服の関係を再定義し、山本耀司や川久保玲は黒を基調とした前衛的デザインで「黒の衝撃」を起こし、既存の西洋的な美の基準を覆しました。こうしたデザイナーの登場は、日本国内でも「DCブランドブーム」を生み、若者たちは新しい感性を身にまとい自己表現の幅を広げました。高田賢三や森英恵の功績も、日本のモードが世界で評価される土台を築きました。
2000年代以降は、アンダーカバーやコム デ ギャルソン、ヨウジヤマモトといった日本発ブランドが引き続き世界で注目され、東京発のモード感覚は独自の哲学や美学を通じて国際的に存在感を放ち、ルイ・ヴィトンをはじめとするラグジュアリーブランドとのコラボレーションや共演によって、世界のモードシーンに影響を与え続けています。こうした日本発ブランドは、従来のヨーロッパ中心の価値観に対して独自の視点や思想を提示し、国際的ファッションの多様性を広げています。
森山大道や荒木経惟といった写真家の作品も雑誌を通じて広まり、ファッションを都市文化やアートと結びつけ、日本独自のモード感覚をより強固なものにしました。若者文化において、モードは単なる服装の選択を超え、自己表現やライフスタイルの象徴として機能します。海外の最新スタイルを吸収しながら、日本独自の価値観や文化を織り込み、独自のモード感覚を作り出すことで、時代ごとのファッション文化は更新され続けているのです。


- 選択結果を選ぶと、ページが全面的に更新されます。
- 新しいウィンドウで開きます。