コレクション: パンク|PUNK

反逆こそ、自由のルール!

パンク文化

1970年代前半、ニューヨークのアンダーグラウンドシーンでは、ラモーンズやニューヨーク・ドールズなどがシンプルで荒々しい“パンク前夜”の音を作り始めていました。やがて1970年代後半になると、イギリスでセックス・ピストルズやザ・クラッシュが登場し、社会や体制への怒りをストレートに叫ぶ音楽と、挑発的なファッションが爆発的に広がっていきます。これをきっかけに世界的なパンクムーブメントが一気に加速し、ここが一般に“パンク誕生”とされます。

ロンドンのブティック「SEX」を運営したプロデューサーのマルコム・マクラーレンとデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドは、破れたTシャツ、安全ピン、ラバー、チェーンといった過激なスタイルを打ち出し、世界中の若者に衝撃を与えました。マクラーレンは音楽プロデューサーとしてだけでなく、反体制的思想・ファッション・アートを融合させて“パンク”を社会運動に押し上げた立役者でもあります。彼はセックス・ピストルズを通して「権威への反抗」や「既成概念の破壊」を演出し、その挑発的な手法によって若者の不満を社会に可視化させました。

パンクの目的は単なる音楽やファッションの流行ではなく、社会のルールに縛られずに自分の意志で生きることを主張する点にありました。この精神は「誰でも音楽ができる」「誰でも表現していい」という、パンク最大の特徴である DIY精神(Do It Yourself) と強く結びついています。高価な機材や専門教育がなくても、自分たちの手でバンドを組み、曲を作り、ライブを行い、ZINE(自主制作雑誌)を書き、チラシを刷り、コミュニティを築く。パンクは“受け手”ではなく、“自ら作り出す側”として生きる力を若者に与えました。

その象徴的なメッセージソングが、ザ・クラッシュの「白い暴動(White Riot)」です。この曲は1976年のノッティングヒル・カーニバル暴動から影響を受け、社会的不平等や人種差別に対する怒りを表明したものです。「黒人たちが立ち上がっているように、白人の若者も行動せよ」という呼びかけは、DIY精神と反抗心が結びついたパンクのエネルギーそのものと言えます。

こうした流れの中で、音楽と政治を結びつけた「ロック・アゲインスト・レイシズム(Rock Against Racism)」が誕生しました。この団体はパンクやレゲエのアーティストたちが連帯し、音楽を通じて人種差別に反対する運動を行いました。フェスやイベントの多くは、商業主義に依らないDIYの手法で運営され、そこにもパンクらしい自律性が息づいていました。

日本でも1980年代に入ると、新宿や下北沢を中心に独自のパンクシーンが生まれました。アナーキー、ザ・スターリン、ラフィンノーズなどが注目を集め、若者はモヒカン、革ジャン、ドクターマーチンといったスタイルで自己表現しました。日本のシーンにもDIY精神が深く根付き、ライブハウス文化や自主制作のカセット、ZINE、フライヤー作りなどを通じて“自分たちで作る文化”が拡大していきます。

また日本のパンク・ニューウェーブ文化を支えた人物として編集者の阿木譲が挙げられます。彼の『ロック・マガジン(Rock Magazine)』(1976年創刊)は海外のパンクや前衛音楽、サブカルチャーをいち早く紹介し、日本の若者に新しい価値観を提示しました。さらに『ZOO SUPER HEAD MAGAZINE』(1975年創刊)は、のちに誌名を『DOLL』へと変更し、DIYな視点からアンダーグラウンド音楽を紹介する中心的メディアへと成長しました。

ファッションでは、原宿のアストアロボットといったセレクトショップがロンドンのストリートスタイルやパンク/ニューウェーブをいち早く紹介し、日本の若者文化の拠点となりました。こうした動きにより、パンクは単なる音楽を超え生き方として広がり、90年代以降のストリート文化にも大きな影響を与えていきました。

自分の心を解放して、好き勝手に生きるためのカルチャー。常識とか、空気読むとか、みんなと同じ・・そんなの全部スルーして、『自分で決めて、自分で叫ぶ』のがパンクなんです。エスピースでは、音もファッションもメンタルも全部自由なパンクのDIY精神に注目しました。70年代から始まるパンクの源流の希少ヴィンテージ雑誌や書籍などのものをメインにご紹介しま〜す。自分でカスタムして、自分で作って、自分で発信する・・全部パンクの延長線上です。